(スマートな)大人になるために私が辞めたこと

どうも、かね吉です。
今日は私が「スマートな大人」になるために辞めたことについて綴ってみたいと思います。

スマートな大人になりたいと思うようになったのは、自分の振る舞いに対して、どこかでずっと違和感を抱えていたからです。表面上はうまくやっているように見えても、一人になると「なんだか自分が嫌だな」と感じる瞬間がありました。

自信がないのに、あるように振る舞っている。安心したいがために、虚勢を張っている。そのことに、薄々気づいていたのだと思います。

そこで私は、「何かを足す」よりも先に、いくつかのことを辞めることにしました。

自分を下げる発言を辞めました

以前の私は、必要以上に自分を下げる発言をしていました。

例えば自分がミスをしたときなどは、正直に伝えることこそが誠実さを表すことだと信じていたからです。もちろん、その考えに嘘偽りはないですし隠すことは間違いだとわかっています。

けれど、よく考えるとそれは、「先に自分を下げておけば、責められなくて済む」

という防衛反応でもありました。自信のなさを、自己卑下で覆い隠していたのだと思います。今は、必要な報告は淡々と行い、それ以上の自己評価は口にしないようにしています。

ほかにも、他人を話をしているとつい、「私なんて」という言葉が出てくることがありました。本当にそう思っているときばかりでなく、相手のいいところやすごいなと思うことをほめようとして、それを強調するためにあえて自分を下げるようなことを言っていたのだと思いますが、これは不要だなと感じました。

求められていない持論を語るのを辞めました

自分の考えやこだわりを、つい語ってしまう癖もありました。「これだけ考えている自分は大丈夫だ」と、自分自身を安心させたかったのだと思います。

でも、それは裏を返せば、他人の評価を借りなければ自分を肯定できていなかった、ということでもあります。

今は、聞かれない限り自分の考えは話さないようにしています。黙っていることのほうが、よほど落ち着いて見えると気づきました。

人を悪く言うのを辞めました

その場にいない人を話題にして、少し強い言葉で語ってしまうこともありました。
自分を下げることで相手を持ち上げることの逆で、誰かを下げることで、相対的に自分を安全な位置に置きたかったのだと思います。
けれど、それをしている自分を、私はまったく好きになれませんでした。

今は、「自分がされたら嫌なことは言わない」ただそれだけを基準にしています。

怒りで自分を正当化するのを辞めました

怒りは、実はとても楽な感情です。自分が正しい側に立てるからです。
でも、怒っているときの自分は、決してスマートではありませんでした。
感情に振り回され、あとから後悔することも少なくありませんでした。

今は、怒りが湧いたときほど、「自分は何を守ろうとしているのか」を考えるようにしています。多くの場合、それは自尊心や不安です。

辞めてみてわかったこと

これらを辞めてみて分かったのは、スマートさとは、強く見せることでも、賢く振る舞うことでもないということです。
自分を大きく見せようとしないこと。
不安を他人で埋めようとしないこと。
そして、自分が嫌いになる行動を選ばないこと。
それだけで、驚くほど心が静かになります。

スマートな大人になるとは、完璧になることではなく、自分を偽らなくても大丈夫な状態をつくることなのかもしれません。
私はまだ途中ですが、少なくとも以前より、自分のことを嫌いになる回数は減りました。

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