004_嘘と真実を見抜く

人間は見かけに惑わされる

人は生きている限り、無数の情報に囲まれています。ニュース、SNS、噂話──日々私たちに流れ込む情報は膨大であり、そのすべてを冷静に取捨選択できる人はごく少数です。

古代ギリシアの作家ファイドロスはこう言いました。

物事は見かけ通りとは限らない。見かけに騙される人間は多い。ごく少数の知恵ある者が、巧妙に隠された真実を見抜くのだ。

しかし現実には、巧妙に隠された真実を見抜くどころか、作られた虚構にすら踊らされてしまうのが人間です。噂や偏った解釈が一人歩きし、あたかも真実であるかのように拡散されていく。これが現代社会の危うさです。

信じたいものを信じてしまう心

やっかいなのは、人間が「自分の信じたいこと」を優先して信じるという習性です。心理学でいう「確証バイアス」がまさにそれで、都合の良い情報ばかり集め、都合の悪い情報は無視する。こうして人は虚実を見分けられなくなり、噓を真実と思い込みます。

表面的には無害に見える噂話も、真実が明らかになったときに自らを深く傷つけることがあります。噓を拡散すれば信用を失い、事実を見誤れば判断を誤る。小さな選択の積み重ねが、大きな失敗につながるのです。

フランスには「嘘が速くとも真実はこれを追い抜く」という諺があります。どれほど巧妙な虚構も、いずれは真実に追い越される。歴史はその繰り返しでした。だからこそ、短期的に心地よい情報に飛びつくことは危険であり、長期的な視点で「本当のことは何か」を問い続ける姿勢が求められるのです。

真実を見抜くために

では、どうすれば噓に惑わされず、真実を見抜くことができるのでしょうか。第一に必要なのは、自分自身のバイアスを自覚することです。「私は自分の信じたいものを優先して信じていないか?」と問うことが、慧眼を養う第一歩となります。

第二に、異なる立場の情報に触れることです。一つのメディアや一つの人間関係だけに依存すれば、情報は偏ります。異なる視点を知ることで、見えなかった輪郭が浮かび上がります。

第三に、時の試練を待つことです。虚構は短期的には真実のように見えますが、長い目で見れば必ずほころびが出ます。拙速に断定せず、一定の時間を置いて検証することが、誤解や思い込みを減らす最も確実な方法です。

人間は噓に弱い生き物です。しかし、同時に真実を探ろうとする力も備えています。安易に「信じたいもの」へ飛びつくのではなく、常に疑い、問い、検証する。その習慣が、虚偽から自らを守る唯一の方法です。

ファイドロスの言葉を借りれば、「真実を見抜く知恵ある者」はごく少数かもしれません。しかし、その少数に近づこうと努めること自体が、私たちにとっての成長であり、誇りとなるのです。

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