私たちは仕事や人間関係の中で、しばしば厳しい指摘や批判を受けます。その瞬間に生まれる感情は大きく二つに分かれます。一つは「私はだめだ」と自分を責める方向。もう一つは「あの人は何もわかっていない」と相手や環境に責任を転嫁する方向です。
どちらも人間の自己防衛本能に根ざしています。前者は反省を通じて改善の余地を探ろうとし、後者は自己を肯定するために他者を否定する。いずれも一面では有効ですが、同時に感情に振り回され、自らを苦しめる要因ともなります。
では、別の道はないのでしょうか。その答えが「事実を見る」という姿勢です。
例えば「上司から指摘を受けた」という出来事があったとしましょう。多くの人は「次の仕事は任されないかもしれない」「同僚から白い目で見られるかもしれない」と想像を膨らませ、事実以上に不安や怒りを増幅させてしまいます。
しかし、事実そのものは単純です。「私は今回の仕事で上司に指摘を受けた」。それだけです。この一点に立ち返れば、次に取るべき行動は自ずと限られてきます。なぜミスが起きたのか。どうすれば再発を防げるのか。そのために必要な行動は何か。感情を挟まず、冷静に次の一手を考えることが可能になります。
禅の世界には「随所に主となれば、立つ処みな真なり」(『臨済録』)という言葉があります。これは、どんな状況にあっても自ら主体となって生きれば、その場所そのものが真実の場となる、という意味です。
他人の言葉や評価に振り回されている間は、自分を見失い、心の平穏を保つことはできません。しかし、事実を事実として受け止め、自らの判断で行動を選び取るとき、私たちはようやく主体的に生きることができます。
失敗や批判に出会ったときこそ、「事実を見る」訓練をしてみてください。それは感情に支配されない心を育み、少しずつ人生を豊かにする力となるはずです。

